55歳の女性のお話です。
その方は、お孫さんを胸に抱いていました。
赤ちゃんは泣いています。
そして泣いている赤ちゃんに
「何か言ってるんだよね。何かなあ」と声をかけています。
泣いているように見えるけど、お話しているんですよと教えてくれました。
<私は覚えているんです。
赤ちゃんだったころ、首が座ったばかりの頃だと思います。
部屋につれてこられて布団に寝かされました。
その部屋は、高い所に一つだけ窓があって夕日が入っていたのを覚えています。
母と父は仕事があったので隣の部屋に行ってしまいました。
私は、母の所に行きたくて「(部屋から)出して」「出して」と言いました。
そしたら泣き声だったんです。
私はびっくりしました。本当に驚きました。
「出して」と言っただけだったのに。泣き声だったからです。
驚いたけれど、母の所に行きたかったので「出して」と言い続けましたが、
母と父は仕事があったので来てはくれませんでした。
そのうち、私は疲れて寝てしまったのです。
だから娘を生んだ時に、泣いている娘に「何か話しているんだよね」といつも声を掛けていました。
私がそうだったから。
今も、娘に「赤ちゃんの泣き声はお話だから、無理に泣き止ませなくていいよ」と言っています。>
赤ちゃんの泣き声は、お話なのですね。
それを知ることが出来て、気持ちが少し楽になりました。
赤ちゃんが泣いていると、早く、何とかして、泣き止ませなければいけないと思ってしまいます。
怒っているのではなく、困らせようとしているわけではないこと。
そして、私が嫌いなわけでもないこと。
ああ、良かった。
嫌われてるかな、なんて勘違いだった。
子どもが成長した今、赤ちゃんの泣き顔も愛おしいと写真を見ながら思います。
泣き顔の傍に満点の笑顔があって、そのどちらも私との「お話」の時間だったのです。
いっぱい「お話」したんだね。
私に似て、なんておしゃべりなんでしょう。
「お話」の内容や「お話」の伝え方は、成長と共に変わっていくけれど、変わらない大切なもの。
それが、私にも皆さんにも見つかりますように願っています。